超突然、超特急に再会した話

21年生きてきて忘れられない日TOP3に入る気がしたので記録として残しておこうと思った。

 

 

 たまたまこれを見てしまった人は書いた人が理系であることを理解して読んでほしい。国語は昔から成績が悪い。

 

 

 私は両親が共働きであったため寂しくないようにと幼い頃からPCを使わせて貰っていた。

当時は今では考えられないほどニコニコ全盛期であり、私自身もニコ生配信などをよく見ていた。そこでたまたま出会ったのが超特急である。今になって調べてみると恐らくYellの発売記念ニコ生だったように思う。

当時13歳だった私は面白いお兄さんたちに釘付けになった。田舎に住んでいるためイベントなど行けるわけがないがインターネット上で見られるものは殆ど全部見ていた。13歳にして既にオタク気質だったのかもしれない。

 

 

 2018年に1号車の脱退があったが意外にもあまり驚かなかったような気がする。たった6年前の事なのに正直殆ど記憶がない。

 私は高校生になっていた。バイトができる高校生であればイベントに行けたのかもしれない。しかし私は家から遠い高校に通い、さらに部活までしていた。ここまでイベントに行った回数はたったの1回。立派な在宅オタクになっていた(色んな意見があると思うが私は在宅オタクに価値はないと思っている)。

 

 

 

 こんな完璧な在宅オタクが下車したのには2つ理由があった。

 1つめは失恋。

好きな人と唯一の共通の話題が超特急で暇さえあれば2人で動画を見て話をしていた。この頃はもうYouTubeが動画サイトのメインであった。

 ある日、修学旅行前に『私服見れるぞ』とワクワクしていた私に最悪の噂が回ってきた。Aちゃん彼氏出来たって。

告白するつもりはなかったし、付き合えるとも思っていなかったがかなりショックだった。この出来事が超特急から距離を置く事となってしまった。

 2つ目は6号車の脱退。

これは本人の体調が第1優先であるため最善の判断であったと思う。しかし私からすると5人で活動する姿が想像できなかった。それほど6号車の存在はでかかった。5人を信じられなかった。7号車がつらそうに歌うのを見ていられなかったのもある。超特急の楽曲は1人で歌うにはあまりにもしんどすぎるものだった。

 さらに私が通っている高校はばりばりの進学校であったため受験の時期とも重なり、自然と超特急から離れていった。

 

 

 2024年。ニコニコの存在を誰もが忘れ始めた中、私は新たな動画投稿サイトであるTikTokを見ていた。私のオススメ欄に超特急が1月16日に投稿した『千利休を踊ってみた』が流れてきた。初めは誰か分からなかった……ってことはなくすぐ超特急だと気付いた。3号車がガリガリだから。超特急だと分かったと同時に別のグループとコラボしてる?と思った。あまりにも人数が多すぎる。

 それからたくさん調べた。5人が募集しようと決意した経緯、4人が応募した経緯など全て調べきってから見る『gr8est journey 』は本当に感動した。4人が全く違和感なくグループに溶け込んでいることに驚きはなかった。5人が忙しい中多大な時間をかけて選びぬいた4人であるからだ。何よりも7号車がシューヤくん(号車を覚えきれていない)と楽しそうに目を合わせて歌っているのを見てもう1度乗車したいと強く思った。シューヤくんめっちゃ歌うまい。

「めっちゃ」で突然思い出したが、7号車の「めっちゃむっちゃほんま」が可愛すぎて『青春〜珍道中〜』が超お気に入り曲になった。西日本ユニット最高やで。

 

 

 

 

 他のアイドルでは基本的に単推しになるが超特急に関しては昔から推しが決まらなかった。今も2.4.7.アロハくんで悩んでいる。

 先に書いたように私は在宅オタクに価値なしとしているので自分を古参だと思わないし、昔と比べる事もしたくない。あの頃は〜とか○○の時代に戻りたいとか○○年が全盛期だったなどの言葉が大嫌いだ。ニコニコに全盛期はあるかもしれないが超特急に全盛期なんてない。常に廃れることなく常に全盛期、超特急で進んできている。

 今更かもしれないが9人体制の超特急を沢山知っていきたい。学生時代に中々行けなかったイベントに沢山行きたい。ライブでコールをしたい。2024年始まったばかりではあるが超特急に再会して既に素晴らしい年になった。

 

 

 

 寝る前に見ると変な夢を見てしまうので明日の朝になったら昔トラウマになった超特急が次々に○されていくMVを見ようと思う。名前なんだっけ。

 

 

 

 

ご乗車ください🚃8⃣